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今年で35歳。オーシャンズ最年長・星翔太は誰よりも成長を渇望する。

2020.06.18

コラム

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名古屋オーシャンズ

「うまくなりたいという欲求に従ってもいいんじゃないか」

2018年のAFCフットサル選手権決勝で、スコアこそ0-4で敗れたがイラン代表に善戦した日本代表。そのときのメンバーだった星翔太は、所属元のバルドラール浦安では絶対的存在だった。それが故に、「自分がクラブを成長させなければいけない」と義務感に似たものをずっと抱いていた。

当時32歳。選手としてはすでにベテランの域に達していたがまだまだ伸び代があることも感じていた。

新しいチームでの挑戦を決意。クラブと話し合い、全日本フットサル選手権開幕前の2018年2月21日に退団リリースが掲載された。

大会はベスト4で終わり、星の浦安の選手としての最後の公式戦が終わった。

「唯一心残りなことは浦安のサポーターの皆さんにホームゲームで挨拶できなかったことですね」

そういった意味でも、最後にタイトルを獲得して喜びを分かち合いたかったが、それ以外に後悔も迷いも一切なかった。

成長を求め浦安を1年で退団してスペインへ


星が浦安に入団したのは2009年。FUGA MEGURO(現:フウガドールすみだ)の選手として日本一を経験し、鳴り物入りでFリーグデビューを果たした。

だが、23歳の星は「若手」と呼ばれることに違和感を感じていた。

「例えばリオネル・メッシは18歳からすでに活躍していますし、フットサルに限らずスポーツの世界で若手はそういう年代の人たちのこと。23歳はもう中堅選手として結果を出し始めなければいけないですから」

すでにそのころから代表に選ばれていた当時のミゲル・ロドリゴ監督の影響もあり、星はワールドカップを見据えて「やるなら一番上のところでやりたい」と浦安を1年で退団。単身・スペインへ渡った。

星が新天地に選んだクラブはUDグアダラハラFS。現在はインドネシア代表監督を務める高橋健介氏も選手として在籍していた。スペイン人の前では星にも同じようにスペイン語で話し、厳しくも優しいサポートに助けられていた。

1シーズン目は主力として戦ったが、チームが3分27敗でダントツの最下位。それでもスペイン代表やブラジル代表クラスの選手たちと戦い「こんなふうにすればこうできるんだ」、「こういう部分は通用するんだ。だけどこういうところではやられてしまうな」ということを学べた。

生活面では8カ月もの間、給料が払われなかったり電気が点かないこともあったが、ピッチ内ではこの上ない充実感があった。だからこそ「もう帰りたい」と思うこともなかった。

翌シーズンは同じスペイン国内のサンタ・コロマというクラブに移籍した。そこで1シーズンを過ごし、AFCフットサルクラブ選手権の予選に出るためにカタールのアル・ラヤンSCに移籍。約半年のプレーを経て2012年6月に浦安へ復帰した。

その年は、ワールドカップイヤー。キングカズこと三浦知良の招集も決まり、代表に選ばれた星は連日メディアに報道され「異質な環境だった」と当時を振り返る。

大会ではブラジル代表、ポルトガル代表と同居した“死のグループ”を抜けて決勝トーナメント1回戦でウクライナ代表に敗れベスト16という成績を残した。

「ウクライナ戦の前に熱が出てしまったのでチームと別行動していたことは今でも覚えています。でも監督は信頼して使ってくれましたけど、その試合では普通の状態ではなかった。どこかで無理をしてきたツケが回ってきたからなのか、その試合で僕がミスから失点してしまいました。自信は持っていましたけど、自信を持ちすぎていたが故に過信が生まれてしまったのかなと思います。そういうことも学ばさせてもらった大会でしたね」

所属元の浦安に戻り、研鑽が再び始まった。そのとき「このチームをタイトルの取れるチームにしたい」という強い想いを抱くようになった。

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