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名古屋オーシャンズ
“赤髪”だった橋本優也がトップチームに昇格してから新シーズンで5年目になる。
昨シーズンはFリーグ通算100試合に出場。名古屋オーシャンズの選手としてだけで大台に達し、今や中堅選手になった。
そんな橋本のオーシャンズに対する想いは人一倍強い。東京都八王子市出身の橋本だが、東京でオーシャンズの試合があればほぼ毎試合、会場へ足を運んでいた。
自分もオーシャンズの一員になりたくて、高校3年生のときにサテライトのセレクションを受けた。しかしそのときの結果は不合格だった。
「逆に、余計にこのチームに入りたいと思いました」
セレクションを受けた際に、セレクション組vsサテライトでゲームを行なった。そこで、「こんなにうまい人たちがいるんだ」と衝撃を受けた。同時に、「サテライトでこれだけうまいということはトップチームは相当だな」という想いも湧き、落ち込むどころか橋本をむしろ駆り立たせた。
所属していたディベルティード八王子でもう1年を過ごし、2回目のセレクションで合格を果たす。
「ちょうどチームの練習の日でした。練習が終わってケータイを見たら合格のメールが来ていて、泣くくらい嬉しかったですね。家族にも電話して、家族も泣いていて。サテライトに入ることが決まっただけでしたけど、それだけでも嬉しかったのは今も覚えていますね」
そうして、サテライトの選手になった橋本だが「入った当初は練習についていくのが精一杯だった」。試合に出られるか出られないかの瀬戸際だったが、着々と実力を付け、1年目からトップチームの練習に呼ばれるようになる。
「そのときに全てが足りないと感じました。技術にしろ、頭にしろ、フィジカルにしろ、全てが足りませんでした。その中でもフィジカルの強化は自分だけでもできることなので、まずはそこをやらないといけないと考えていました」
サテライトでの2年目のシーズンは、東海リーグで21得点を決めて得点王になりMVPも獲得した。ゴール数が8得点だった1年目と比べると、橋本がどれだけ急成長したかがわかる。
そして、2016年にFリーグ10連覇目を目指すトップチームへ昇格。国立代々木競技場第一体育館での開幕戦にスタメンとして出場を果たす。
「毎年、代々木での開幕戦は見に行っていたので、代々木でプレーするというのは自分の中ではすごく感慨深いものがありました。そこで家族や友人、たくさんの人が見に来てくれて、お客さんも多く来ていて『こういう中でプレーできるのはすごく楽しいな』と感じたのはすごく覚えています」
ただ、その当時はまだ橋本優也の名前もあまり知られていなかった。「とりあえず目立て」ということで髪を赤く染めたことで知名度も上がった。
同世代の八木聖人は金髪に、齋藤功一は髪を青く染め、3人で「信号機」と呼ばれていた。
7月にはAFCフットサルクラブ選手権に出場し、プロ1年目にしてアジア制覇を経験する。
「トップチームに昇格して2カ月ぐらいの出来事で、あっという間に終わってあっという間に優勝させてもらったみたいな大会でした」
その一方で、リーグ戦では勝てない試合が増えていった。
「いつからかチームも良くない時期に入って、僕自身もあまり良くなくてそこから自信をなくしていった。それからは負の連鎖じゃないですけど『チームも良くないし、自分も良くないし……』と」
そんなとき、多くの先輩が橋本のことを気にかけ、声をかけた。「1年目は本当に、病んでしまっていました」と言うが彼らの言葉に橋本は救われた。
だからこそ、2年目は王座奪還へ向けて再起することができた。
昨シーズンはFリーグ通算100試合に出場。名古屋オーシャンズの選手としてだけで大台に達し、今や中堅選手になった。
そんな橋本のオーシャンズに対する想いは人一倍強い。東京都八王子市出身の橋本だが、東京でオーシャンズの試合があればほぼ毎試合、会場へ足を運んでいた。
自分もオーシャンズの一員になりたくて、高校3年生のときにサテライトのセレクションを受けた。しかしそのときの結果は不合格だった。
努力を重ね着実にステップアップをしていくが……
「逆に、余計にこのチームに入りたいと思いました」
セレクションを受けた際に、セレクション組vsサテライトでゲームを行なった。そこで、「こんなにうまい人たちがいるんだ」と衝撃を受けた。同時に、「サテライトでこれだけうまいということはトップチームは相当だな」という想いも湧き、落ち込むどころか橋本をむしろ駆り立たせた。
所属していたディベルティード八王子でもう1年を過ごし、2回目のセレクションで合格を果たす。
「ちょうどチームの練習の日でした。練習が終わってケータイを見たら合格のメールが来ていて、泣くくらい嬉しかったですね。家族にも電話して、家族も泣いていて。サテライトに入ることが決まっただけでしたけど、それだけでも嬉しかったのは今も覚えていますね」
そうして、サテライトの選手になった橋本だが「入った当初は練習についていくのが精一杯だった」。試合に出られるか出られないかの瀬戸際だったが、着々と実力を付け、1年目からトップチームの練習に呼ばれるようになる。
「そのときに全てが足りないと感じました。技術にしろ、頭にしろ、フィジカルにしろ、全てが足りませんでした。その中でもフィジカルの強化は自分だけでもできることなので、まずはそこをやらないといけないと考えていました」
サテライトでの2年目のシーズンは、東海リーグで21得点を決めて得点王になりMVPも獲得した。ゴール数が8得点だった1年目と比べると、橋本がどれだけ急成長したかがわかる。
そして、2016年にFリーグ10連覇目を目指すトップチームへ昇格。国立代々木競技場第一体育館での開幕戦にスタメンとして出場を果たす。
「毎年、代々木での開幕戦は見に行っていたので、代々木でプレーするというのは自分の中ではすごく感慨深いものがありました。そこで家族や友人、たくさんの人が見に来てくれて、お客さんも多く来ていて『こういう中でプレーできるのはすごく楽しいな』と感じたのはすごく覚えています」
ただ、その当時はまだ橋本優也の名前もあまり知られていなかった。「とりあえず目立て」ということで髪を赤く染めたことで知名度も上がった。
同世代の八木聖人は金髪に、齋藤功一は髪を青く染め、3人で「信号機」と呼ばれていた。
7月にはAFCフットサルクラブ選手権に出場し、プロ1年目にしてアジア制覇を経験する。
「トップチームに昇格して2カ月ぐらいの出来事で、あっという間に終わってあっという間に優勝させてもらったみたいな大会でした」
その一方で、リーグ戦では勝てない試合が増えていった。
「いつからかチームも良くない時期に入って、僕自身もあまり良くなくてそこから自信をなくしていった。それからは負の連鎖じゃないですけど『チームも良くないし、自分も良くないし……』と」
そんなとき、多くの先輩が橋本のことを気にかけ、声をかけた。「1年目は本当に、病んでしまっていました」と言うが彼らの言葉に橋本は救われた。
だからこそ、2年目は王座奪還へ向けて再起することができた。
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