INSIDE OCEANS

オーシャンズのキャプテン・星龍太。自身の運命を変えた3つの転機。

2020.06.15

コラム

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名古屋オーシャンズ

星龍太が名古屋オーシャンズのキャプテンになって、新シーズンで5年目を迎える。言うまでもなく、オーシャンズのキャプテンがすっかり板についた。

昨シーズンは2つの国内タイトルとAFCフットサルクラブ選手権制覇を成し得た。

個人としてはFリーグ通算200試合出場を達成し、今でこそオーシャンズの中心に立っているが苦い思い出になったデビュー戦を含め、挫折や葛藤は何度もあった。

2人の言葉が無ければ今の星龍太はいなかったかもしれない


星がフットサルを始めたのは暁星高校卒業後。兄・翔太の誘いを受けて当時関東リーグに所属していたFUGA MEGURO(現:フウガドールすみだ)に入団する。

当初は「身体を動かしたかったら」という軽い気持ちでのスタートだった。

そして、そのわずか半年後に全日本選手権でオーシャンズを下し、日本一を経験する。決勝のピッチに立ってはいたが、どちらかと言えば日本一にさせてもらったという感覚に近い。とはいえこのジャイアントキリングで、星の運命の歯車が大きく動き出す。

主力選手がFクラブへ移籍し、翌年からは中心選手としてプレーすることになった。そんな星の元へFリーグの5チームから獲得オファーが届く。その内の一つがオーシャンズだった。

チームの居心地は良く、関東からも出たこともなかったため、当時は内向的だった性格の星は悩んでいた。フウガに残るか、どのクラブへ移籍すべきか先輩に相談を求めたとき、オーシャンズへ移籍する決め手となる言葉を掛けられた。

「Fリーグでプレーできる選手は多くない。ましてや名古屋オーシャンズでプレーできる選手は本当に一握りだぞ。自分が行きたいと言って行けるチームでもない。行けるチャンスを無駄にするのはどうなんだ?」

その言葉で「チャレンジしてみよう!」と決心し、2011年にオーシャンズの一員になった。

「すごい人数が来ていて、(開幕戦は)緊張していたと思います。『やってやろう!』というよりも、それまでの練習でもついていくのに精いっぱいだったので、がむしゃらにやっていたという印象があります。どちらかといえば流れを壊したくないような気持ちでした」

迎えた開幕戦ではそんな思いとは裏腹に、失点に大きく絡んでしまいアジウ監督の信頼を失ってしまう。それでも日本一にもなったフウガの主力だったプライドや反発心もあってか、「こうだと思ったんですけどどうですか?」と川原永光や北原亘に聞きにいった。

しかし周りとしては「『知識がないくせにそんなことを言うなよ』という感覚だったと思います」と星は当時を振り返る。実際、日々の練習ではまだキャリアも浅かったため初心者のように扱われていたという。

「しがみつく感じで練習するのが精いっぱいで、体力的にもキツかったですね」。1日でも早くそんな状況を変えるため、先輩たちに局面局面で積極的に質問しにいった。

だが、出場機会が増えることはなかったからそんなガムシャラな姿勢も消極的になったのか。消極的になったから出場機会がさらに減っていったのか。星が試合に絡むことは少なくなった。

経験を積むため、悩んだ末に府中アスレティックFC(現:立川・府中アスレティックFC)へ1年間の移籍が決まった。そんなとき、川原から掛けられた言葉で自分が腐っていたことに気付かされる。

「最初の方はチームのこととかは関係なしに、俺に『どっちを切ればいいですか?』とか『こういうときは寄せた方がいいですか?』っていう局面の話を聞いてきたのに、シーズン最後の方にはそういうガツガツした感じがなくなったよな」

「この1年で成長しよう」。そう思っていたはずなのに、貫くことができなかった。

そのことを見事に指摘され、自らの情けなさを痛感した。それと同時に、府中では「龍太は移籍して正解だったな。チームに戻したいな」と思われるようなシーズンにしたいという反骨心も芽生えた。

川原の言葉が、星を突き動かす大きな原動力になったのだ。逆に言えば、あの言葉がなければ今ごろ選手として成功することはなかったかもしれない。

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