INSIDE OCEANS

目標だったオーシャンズへの移籍。そして、次なる目標は日本代表選手として戦うこと。Fリーグ史上最高のフィクソ・アルトゥールが決意した新たな挑戦。

2020.06.29

コラム

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「日本に来てから、タイトル獲得以外に目標にしていたのが、名古屋オーシャンズでプレーすることでした」

4月1日、名古屋オーシャンズから発表されたアルトゥールの入団は、日本フットサル界を大きく震撼させた。

加えてリリースには、「クラブ加入後、名古屋オーシャンズサテライトに所属予定とし、日本国籍取得後に
Fリーグ登録を行う予定となっております」と書かれておりもう一つ、大きなインパクトを与えた。

それもそのはずだ。2015年に来日し、Fリーグに通算136試合に出場してフィクソながらゴール数は116得点。攻守の要であり、頭脳的なプレーで2016/2017シーズンではシュライカー大阪のリーグ初優勝に大きく貢献もした。さらには、かつてU-20ブラジル代表に選ばれたほどの実績があるのだから。

アルトゥールの日本へ対する想い


有名な話ではあるが、アルトゥールの父親は2008年のFIFAフットサルワールドカップでブラジル代表を世界一に導いたペセ監督だ。

幼いころからペセ監督にフットサルの英才教育を受けていたため、彼のインテリジェンス溢れるプレーの原点はそこにある。そんな大きなアドバンテージを持つアルトゥールは、U-20ブラジル代表のトレーニングキャンプに何度か招集されることもあり、練習試合ではキャプテンマークを巻いてプレーしたこともあった。

その後も、公式戦のメンバーに選ばれることもあったが、様々な事情があり、当時所属していたコリンチャンスからは代表活動に参加する許可が降りなかった。

そして2014年にブラジル国内のコッパグリウへ移籍し、翌年に大阪でプレーすることが決まった。

「ブラジルではある程度のレベルへいけたと感じていて、新しいチャレンジを求めているときに日本からのオファーが届きました」

今も良くなってはないそうだが、アルトゥールが日本へ行くことを決めたときのブラジルは社会的な問題の影響で、経済もいい状態ではなかったそうだ。そういった意味でも、海外で長い間チャレンジして、適応できれば生涯その国で過ごすことも考えていたという。

そんな想いを抱いて来日し、実際に日本の文化、日本人に触れ合うことで「帰化をしたい」という気持ちが強くなった。

「日本国籍を取得しようという決断に対しては何も後悔していません。むしろ、幸せに思っています。以前はブラジルにいる家族を思い出してさびしくなることはありましたけど、家族と会うことは自分の一番の目標ではないですからね」

アルトゥールは毎年、シーズンオフになるとブラジルへ帰国していたが今シーズンは日本に留まった。それは、「日本が好きで、帰らなくても大丈夫」という決意表明のようなものでもあると言う。

とはいえ、かつてはU-20ブラジル代表にも呼ばれた選手だ。帰化をしてしまえばセレソンのユニフォームに袖を通すことはできなくなってしまう。そこに対して、迷いは生じなかったのだろうか。

「結論から言うと、迷いはありませんでした。ブラジルにももちろん感謝していますが、日本に来てからの5年間で、この国には数え切れないほどサポートしてもらいましたし、感謝しかありません。ブラジルと日本、両方を天秤にかけたとき、自分がいつか日本代表に入るチャンスがあるのなら『ノー』と断ることはできないです」

「今度は日本に何か恩返しをしたい」。それが帰化を決断する決め手となった。

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