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名古屋オーシャンズ
「人生がかかっているので、死に物狂いでやります」
名古屋オーシャンズサテライトの副キャプテン・坂井佑駿がそう話すことにはワケがある。サテライトは、23歳以下の選手で構成されるチーム。そして1996年生まれの坂井は、今まさに23歳。今年度がサテライトで過ごせる最後のシーズンだからこそ、自身の進退を左右する重要な時期だと捉えてやってきた。
もともと、大学サッカー部のセレクションに不合格となり、その後にたどり着いたサテライトへの加入。フットサルキャリアが長いわけではない。しかも加入直後に度重なるケガに遭い、1年半をリハビリに費やすなど、大きく出遅れた。それでも、目の前の壁をいくつも乗り越えてきたのは、周囲の支えがあったから。彼はそうやって突き進んできた道を振り返りながら、この先、どこへ向かっていくのか。坂井の心中に迫る。
【名古屋オーシャンズサテライト/試合日程】
SuperSports XEBIO 東海フットサルリーグ2019 1部 第9節(最終節)
ウィングアリーナ刈谷
2020年1月19日(日) 時間未定 vs NASPA四日市
【SuperSports XEBIO 東海フットサルリーグ2019 1部/順位表】
──坂井選手は、今年でサテライト加入から3年目を迎えました。
今年は、大学を卒業してチームで続けてきました。最近やっと試合で使ってもらえるようになりましたが、それまでは全然、出場機会がありませんでした。「3年目なのに、結構やばいな……」という焦りもありました。ですが、できることが増えて、自信を持てるようになりました。これからさらに爆発したいです。
──出場機会がなかったこれまではどんな立ち位置だったのでしょうか。
1年目は、1年間もケガで離脱していて、練習できたのはせいぜい1カ月くらい。一度も公式戦のベンチに入っていないですし、1年間は苦しかったですね。2年目の去年までは、大学に通いながらプレーしていて、夏に復帰して、何度か試合に出させてもらっていました。でも、練習を全然できていなかったので、体が戻らなかったり、そもそもフットサルの戦術的な部分がわかっていませんでした。活躍できずに苦労しました。
──どこをケガしてしまったのですか?
左膝です。その前に左足第四中足骨を疲労骨折して、3、4カ月は離脱していました。その後すぐに、ホッファ病と膝蓋靭帯炎というケガを、左膝に負ってしまいました。これは特殊なもので、どうやって治すのかがわからなかったので、メンタル的につらかった。最近やっと、膝の痛みがなくなりましたね。
──それは相当、落ち込みそうですね……。
はい、本当にしんどかったです(苦笑)。フットサルを辞めようと思ったことも何度もあります。当時はペピータや同世代の水谷颯真、瀧澤太将がたちが活躍している一方で自分は練習さえもできず、スタンドで見ているしかできなかった。悔しい思いはすごくありましたね。今、彼らはトップで活躍していますし、早く追いつけるように、1日、1日を頑張るだけだと思っています。
──そもそも、フットサル歴は何年目ですか?
高校3年生まではずっとサッカーをしてきたので、卒業してからです。
──ちなみに高校は?
星稜高校です。でも、メンバーには入っていましたが、ベンチで試合には出られませんでした。そういう悔しい思いがあって、大学に進学しました。でも、セレクションに落ちて、サッカー部に入れなかったんです。
──そうだったんですね。
スポーツ推薦ではなく、指定校推薦で入学したので(サッカー部への入部が決まっていなかった)。走力テストと簡単なゲーム方式のメニューだったのですが……そこで一つの挫折を味わいました。そのタイミングで愛知学院大学ARTフットサルクラブにいる友達に声を掛けてもらい、参加してみたらフットサルにハマった、という感じです。そこからはトントン拍子で、東海リーグ2部で6試合で8点くらい決めてU-23愛知県選抜に誘われました。そこには、(瀧澤)太将や(水谷)颯真などサテライトの選手もいて、「みんなうまいな。自分ももっと高いレベルでやってみたい!」と、ロボガト(東海リーグ1部)に移籍しました。出場機会は多くはなかったのですが、1シーズンで7、8点くらい決めて、「やっぱりサテライトに挑戦したい!」という気持ちが強くなって、それで加入を決めたんです。
名古屋オーシャンズサテライトの副キャプテン・坂井佑駿がそう話すことにはワケがある。サテライトは、23歳以下の選手で構成されるチーム。そして1996年生まれの坂井は、今まさに23歳。今年度がサテライトで過ごせる最後のシーズンだからこそ、自身の進退を左右する重要な時期だと捉えてやってきた。
もともと、大学サッカー部のセレクションに不合格となり、その後にたどり着いたサテライトへの加入。フットサルキャリアが長いわけではない。しかも加入直後に度重なるケガに遭い、1年半をリハビリに費やすなど、大きく出遅れた。それでも、目の前の壁をいくつも乗り越えてきたのは、周囲の支えがあったから。彼はそうやって突き進んできた道を振り返りながら、この先、どこへ向かっていくのか。坂井の心中に迫る。
【名古屋オーシャンズサテライト/試合日程】
SuperSports XEBIO 東海フットサルリーグ2019 1部 第9節(最終節)
ウィングアリーナ刈谷
2020年1月19日(日) 時間未定 vs NASPA四日市
【SuperSports XEBIO 東海フットサルリーグ2019 1部/順位表】
何度もフットサルを辞めようと思った
──坂井選手は、今年でサテライト加入から3年目を迎えました。
今年は、大学を卒業してチームで続けてきました。最近やっと試合で使ってもらえるようになりましたが、それまでは全然、出場機会がありませんでした。「3年目なのに、結構やばいな……」という焦りもありました。ですが、できることが増えて、自信を持てるようになりました。これからさらに爆発したいです。
──出場機会がなかったこれまではどんな立ち位置だったのでしょうか。
1年目は、1年間もケガで離脱していて、練習できたのはせいぜい1カ月くらい。一度も公式戦のベンチに入っていないですし、1年間は苦しかったですね。2年目の去年までは、大学に通いながらプレーしていて、夏に復帰して、何度か試合に出させてもらっていました。でも、練習を全然できていなかったので、体が戻らなかったり、そもそもフットサルの戦術的な部分がわかっていませんでした。活躍できずに苦労しました。
──どこをケガしてしまったのですか?
左膝です。その前に左足第四中足骨を疲労骨折して、3、4カ月は離脱していました。その後すぐに、ホッファ病と膝蓋靭帯炎というケガを、左膝に負ってしまいました。これは特殊なもので、どうやって治すのかがわからなかったので、メンタル的につらかった。最近やっと、膝の痛みがなくなりましたね。
──それは相当、落ち込みそうですね……。
はい、本当にしんどかったです(苦笑)。フットサルを辞めようと思ったことも何度もあります。当時はペピータや同世代の水谷颯真、瀧澤太将がたちが活躍している一方で自分は練習さえもできず、スタンドで見ているしかできなかった。悔しい思いはすごくありましたね。今、彼らはトップで活躍していますし、早く追いつけるように、1日、1日を頑張るだけだと思っています。
──そもそも、フットサル歴は何年目ですか?
高校3年生まではずっとサッカーをしてきたので、卒業してからです。
──ちなみに高校は?
星稜高校です。でも、メンバーには入っていましたが、ベンチで試合には出られませんでした。そういう悔しい思いがあって、大学に進学しました。でも、セレクションに落ちて、サッカー部に入れなかったんです。
──そうだったんですね。
スポーツ推薦ではなく、指定校推薦で入学したので(サッカー部への入部が決まっていなかった)。走力テストと簡単なゲーム方式のメニューだったのですが……そこで一つの挫折を味わいました。そのタイミングで愛知学院大学ARTフットサルクラブにいる友達に声を掛けてもらい、参加してみたらフットサルにハマった、という感じです。そこからはトントン拍子で、東海リーグ2部で6試合で8点くらい決めてU-23愛知県選抜に誘われました。そこには、(瀧澤)太将や(水谷)颯真などサテライトの選手もいて、「みんなうまいな。自分ももっと高いレベルでやってみたい!」と、ロボガト(東海リーグ1部)に移籍しました。出場機会は多くはなかったのですが、1シーズンで7、8点くらい決めて、「やっぱりサテライトに挑戦したい!」という気持ちが強くなって、それで加入を決めたんです。