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名古屋オーシャンズ
3シーズン92試合のリーグ戦で挙げたゴールは「100」。得点力を期待されたストライカーは、最後まで結果を出し続けた。
2年連続得点王。プレーオフも、全日本選手権も重要なゴールをマークした。その活躍を否定する者は誰もいない。
ヴァルチーニョは、日本フットサルに強烈なインパクトを残して、名古屋オーシャンズを去る。
“重戦車”と呼ばれたゴールハンターは実際、日本でプレーした3年間で何を感じてきたのか。期待に応え続けなければならない重圧と、どのように向き合い続けたのか。
3月2日、退団リリースの前日、武田テバオーシャンアリーナを最後に訪れたその日、ヴァルチーニョに想いを聞いた。
──名古屋オーシャンズを退団することになりました。振り返るとどんな3年間でしたか?
目標としていた国内タイトルを全て獲得することができた上、今シーズンはAFCクラブ選手権も取ることができたのでほぼ完璧だったと言えます。
クラブ選手権は自分も一緒にプレーしたい気持ちでいましたがレギュレーション上、3人のブラジル人選手の中で1人しか帯同できなかった。でも、優勝は私自身、本当にうれしかった。
選手としてはキャリアで一番充実したシーズンでしたが、今年は家族がブラジルに帰ったことで少し寂しかったですね。
──オーシャンズ加入前は25歳。コンディションのいい時期を日本で過ごすことに迷いはありませんでしたか?
改めて振り返ると25歳は若いと思いますが、コンディションは28歳になった今の方がいいと感じています。
名古屋オーシャンズは日本を代表し、世界的にも知られているクラブ。私もオファーをいただく前からこのクラブのことは知っていましたし、話をいただいたとき時点で答えはもう決まっていました。ですから、不安やオファーを断る選択肢はありませんでしたね。
──1シーズン目は移籍前から交流のあったルイジーニョ選手の加入が急遽決定しました。やはりそのときは驚かれましたか?
ペピータ選手がオーシャンカップでケガをしてしまったことで「別の外国人選手を獲得する」という話が出てきました。今だから言えますが、チームが選手を探している最中、自分もペドロ・コスタ前監督に「こういう選手もいますよ」と彼のことを教えていました。それで決まったわけではないですけど、ある意味私が紹介したような部分もありますよね(笑)。
ルイジーニョの加入は嬉しかったですが、サプライズではありませんでした。
2年連続得点王。プレーオフも、全日本選手権も重要なゴールをマークした。その活躍を否定する者は誰もいない。
ヴァルチーニョは、日本フットサルに強烈なインパクトを残して、名古屋オーシャンズを去る。
“重戦車”と呼ばれたゴールハンターは実際、日本でプレーした3年間で何を感じてきたのか。期待に応え続けなければならない重圧と、どのように向き合い続けたのか。
3月2日、退団リリースの前日、武田テバオーシャンアリーナを最後に訪れたその日、ヴァルチーニョに想いを聞いた。
期待を受け続けたプレッシャーと向き合った
──名古屋オーシャンズを退団することになりました。振り返るとどんな3年間でしたか?
目標としていた国内タイトルを全て獲得することができた上、今シーズンはAFCクラブ選手権も取ることができたのでほぼ完璧だったと言えます。
クラブ選手権は自分も一緒にプレーしたい気持ちでいましたがレギュレーション上、3人のブラジル人選手の中で1人しか帯同できなかった。でも、優勝は私自身、本当にうれしかった。
選手としてはキャリアで一番充実したシーズンでしたが、今年は家族がブラジルに帰ったことで少し寂しかったですね。
──オーシャンズ加入前は25歳。コンディションのいい時期を日本で過ごすことに迷いはありませんでしたか?
改めて振り返ると25歳は若いと思いますが、コンディションは28歳になった今の方がいいと感じています。
名古屋オーシャンズは日本を代表し、世界的にも知られているクラブ。私もオファーをいただく前からこのクラブのことは知っていましたし、話をいただいたとき時点で答えはもう決まっていました。ですから、不安やオファーを断る選択肢はありませんでしたね。
──1シーズン目は移籍前から交流のあったルイジーニョ選手の加入が急遽決定しました。やはりそのときは驚かれましたか?
ペピータ選手がオーシャンカップでケガをしてしまったことで「別の外国人選手を獲得する」という話が出てきました。今だから言えますが、チームが選手を探している最中、自分もペドロ・コスタ前監督に「こういう選手もいますよ」と彼のことを教えていました。それで決まったわけではないですけど、ある意味私が紹介したような部分もありますよね(笑)。
ルイジーニョの加入は嬉しかったですが、サプライズではありませんでした。