INSIDE OCEANS

【ゆるぎなきメンタル術/後編】「燃え尽き症候群にはならない」。数多のタイトルを獲り続けてきた篠田龍馬の原動力とは。

2020.10.09

インタビュー

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名古屋オーシャンズ

負けることは許されない。名古屋オーシャンズは2007年のリーグ開幕からずっと、その重圧にさらされてきた。タイトルマッチであればなおさらだ。2016シーズン、彼らは一度だけ大きな敗北を喫した。優勝を逃す……あんな経験は二度としたくない。彼らは王座に返り咲き、再び連覇の歴史を歩んでいる。

敗北とは、極論すれば失点すること。ゴールを奪われない限り、負けはない。つまり、名古屋のゴールを守る行為は、勝敗を左右する重責を誰よりも背負うことを意味する。そんな代えのきかないポジションで戦い続けてきたのが篠田龍馬だ。2009年から、すでに10年以上トップでゴールを守ってきた。

篠田といえば、冷静沈着なプレーが持ち味。ピッチの状況を見極める認知と判断、それを可能にする論理的思考と、決断の速さ。なおかつ、アクションの正確さと精密さを兼ね備えている。篠田はなぜ、どんな試合でも平常心を保ち、いつもと同じようにプレーできるのか。リーグ戦の普通の1試合であっても、タイトルマッチであっても、篠田は表情を変えずに淡々とプレーできる。いつもと同じように準備して、ピッチに入り、そして涼しい顔で、ビッグプレーを連発する。自分や味方のミスがあっても、次のプレーに影響を残さない。

それでいて、内側に秘める闘志のようなものもにじみ出ている。つまり、オーラがあるのだ。

篠田はなぜ、365日、同じプレーができるのか。タイトルを掲げ、ひとつの目標に届いた達成感や、燃え尽きることはないのだろうか。不安や緊張はないのか。ゆるぎなきメンタルはなぜ生まれ、どのように成り立っているのか。自分の心と、日々どのように向き合っているのか──。

王者の守護神・篠田龍馬のメンタル術に迫る。

前編はこちら

試合中は日本語とポルトガル語を使い分ける

──2016年のオフ期間にブラジルのカルロス・バルボーザへ練習参加されていましたが日本語は当然通じないですし、何か苦労はありましたか?

1カ月だけでしたが生活するのにそんなに苦労した印象はありませんでした。そのときちょうど田淵(広史)も一緒にいて同じアパートに住んでいましたけど、田淵はそのとき全く日本語できなかった。エージェントの人が日本語を喋れましたが一緒にいたのは最初の数日だけ。田淵とずっと2人でしたけどオーシャンズはブラジル人選手が多いので日常会話やピッチ内のポルトガル語はあ大体理解できました。なのでピッチ内で苦労することはそんなにありませんでしたね。全然関係ないですけど、苦労したことと言えばボールがすごく軽くてめちゃくちゃシュートが軽かったんです。あとはピッチがすごく固くて、コンクリートみたいだったこと(苦笑)。シュートを足で止めにいくこともゴレイロは多いのでかかとがめちゃくちゃ痛くなりました。ですがそれ以外に困ったことはありませんでした。

──ブラジルは治安も悪そうなイメージですがピッチ外の部分も大丈夫でしたか?

僕もそう聞いていたので最初はビビりながら行きましたけど、バルボーザはめちゃくちゃ平和な街で有名らしく泥棒とかも全然いませんでした。日本人だからといって白い目で見られることもありませんでしたし、すごく生活しやすかったですね。チームの選手もすごくフレンドリーで良くしてもらっていて、当時はラファもいましたしフウガ(ドールすみだ)にいたデネルもいました。

──篠田選手が練習参加する前のシーズンにはリーグ優勝をしていましたよね。

そうですね。優勝したときとメンバーもほとんど変わっていませんでした。今インテル(・モビスター)にいるピトがちょうどブラジル代表に呼ばれていて、その選手とだけ一緒にプレーできませんでしたがそれ以外の選手は全員いたので一番いい時期に行けましたね。

──外国人選手へのピッチ内での声かけについてですが、先ほど言われたようにブラジル人選手はもう問題ないとはいえタイ代表のスパウット・トゥエンクラーン選手に関してはどうしていこうと考えていますか?

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