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【通算200試合出場】デビュー当時から34歳になった今も、常に成長を求める星翔太。「その気持ちがなくなったら選手をやめるべき」

2019.12.27

インタビュー

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Fリーグ第29節 エスポラーダ北海道戦で星翔太がリーグ通算200試合出場を達成した。海外移籍や度重なるケガの影響で長期離脱もあり、34歳にして遅めの到達となった。

この200試合出場達成を目標にプレーしているわけではもちろんないが、一つの大きな節目を迎えたことは間違いない。

2009年にバルドラール浦安でFリーグデビューを果たした星は、10年以上のキャリアをどのように歩んできたのだろうか。そして今、名古屋オーシャンズではラファやヴァルチーニョとポジションを争う日々をどのように感じて過ごしているのか。

スペインへの移籍も、オーシャンズへの移籍も決断した理由はどちらも成長を求めてのことだ。そういう意味では、1年目も今も考えは変わっていない。現状に満足せず、常に先を目指す星に改めてキャリアを振り返ってもらった。

長年一緒に過ごしてきた荒牧太郎がプレゼンターで「感慨深かった」


──200試合出場されてどんな心境でしょうか。

正直(2015年の9月に)100試合目を迎えたときに200試合目が来るのは全然イメージできていませんでした。それまでも前十字靭帯を切ってしまったり、グロインペイン症候群になったりとかで、長い期間プレーできなかった。そういうのも含め、素直に嬉しいなというのが率直な気持ちです。

──大きなケガや海外での挑戦があったりと、200試合到達までは長く感じたのでは。

そこまでそんなに数字を意識していなかったので、「ああ、もうそんなところまで来たんだ」と思いました。ですが早くそこに到達しようという思いはありませんでしたね。いつの間にかここまで積み重ねてきていたんだなという感覚です。



──記念の盾を渡すときのプレゼンターがヴォスクオーレ仙台の荒牧太郎選手で、何か縁を感じます。

100試合出場達成のときのセレモニーは浦安のホームゲームで、名古屋オーシャンズが対戦相手のときでした。なのでそのときは龍太にお願いしましたね。実は当日、仙台が(武田テバオーシャンアリーナで)試合があるのを知らなかったので今回も龍太にお願いしようと思っていました。でも太郎と連絡を取っているときに(Fリーグ選抜と試合があるから)名古屋に来るというのを知りました。それなら公私共に長年過ごしていた選手がやってくれる方が僕としては嬉しい。そういう巡り合わせがあるのは感慨深いですね。

──荒牧選手とは同じ年にFUGA MEGUROから浦安へ入団しましたよね。

そうですね。かなり長い期間一緒にいた仲です。それこそフウガから一緒にプレーしていますし、ブラジルにもスペインにも一緒に行っていますから。名古屋オーシャンズに移籍するまでの長い間、ずっと一緒にプレーしていたので本当に戦友のような存在ですね。

──ちなみにデビュー戦のことは覚えていますか。

全く覚えていないです(笑)。

──あまり過去に興味がない。

どちらかと言えば日々の積み重ねに僕はフォーカスしています。その期間で得た戦術的なこととか個人戦術とかの方が印象にありますね。試合は日々積み重ねてきたことの結果でしかないですし。年間を戦い切るために準備をしている期間の方が圧倒的に長いので、そっちの方が印象に強く残っていますね。

──浦安での1年目はどんなシーズンだったと感じていますか。

幸いにも代表にすぐ呼んでもらえたので代表に定着しはじめました。クラブでも出場時間はかなり長くプレーさせてもらっていました。試合では稲田選手と小宮山友祐、荒牧太郎の4人で組むことが多かったですね。特に太郎とは同年代でしたし、帰る方向も一緒だったのでそこで得たものとか、監督の求める戦術的なものをよく話をしていました。もちろん初年度なので必死にやってはいましたけど、Fリーグで(活躍して)終わるというよりも、世界で戦うことを見据えて取り組んでいました。

──浦安で1シーズンを終えてすぐにスペインへと渡りましたが、海外移籍はいつから考えていましたか。

なるべく早く行きたいと思っていました。僕がFリーグでデビューしたのは23歳のときで、日本では「若手」と言われていました。ですが(リオネル・)メッシは18歳からすでに活躍していますし、フットサルに限らずスポーツの世界で若手はそれくらいの年代の選手のことを指します。23歳はもう中堅選手として結果を出しはじめなければいけない選手なのに、まだ「若手」と呼ばれているのはまずいなと。そんなことを常に思っていて、海外に行くなら早いに越したことはない。ワールドカップを見据えたときに、自分が世界に出ていかないと差は縮まらないと思ったので。そういう自己追求からですかね。

──その思いに至ったのは世界を見据えて「焦り」があったからでしょうか。

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