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名古屋オーシャンズ
Fリーグ選抜の戦いを終えて、磯村直樹は名古屋オーシャンズのトップ昇格を勝ち取った。
父はNGUラブリッジ名古屋の監督で、母もかつてはプレーヤー。そんなサッカー一家に生まれた磯村は、名古屋グランパスU-12、グランパスみよしFC、藤枝明誠高校、東海学園大学と、全国的にも名前が知れた強豪チームでサッカーを続けてきた。
キャリアだけを見れば順風満帆だが、挫折も多かったという。
それでもサッカーから離れなかったのは、なぜなのか。一つだけ明らかなのは、ボールを蹴り続けていたからこそ、競技フットサルにも出会うことができたということ。
磯村は、小学生時代のチームメートである大学の先輩・山田翔司に騙されるようにして始めたフットサルで、日本最高峰のチームの一員になってしまったのだ。
サッカー一家の長男がトップ昇格を手にするまで。その等身大のヒストリーを追う。
──トップチーム昇格おめでとうございます。昇格を伝えられた際の心境を覚えていますか?
自分が目標にしていたことなので「やってやろう!」という気持ちになりましたね。「やっとか」という想いが一番強かったと思います。
──昇格を伝えられたのはいつですか?
正式に言われたのはシーズン終了後の1月末くらいですね。ご飯を食べに行った際に偶然、櫻井(嘉人)GMとお会いして、「イソ、来シーズンは寮が2人部屋になるからな」って。それは、(サテライトは23歳以下で構成されているため昇格しなければ寮は使えなかったので)遠回しにトップチーム昇格ということなんです(笑)。
──磯村選手は大学までサッカーをしていて2015年からフットサルを始めました。サッカーはいつから始めたのでしょうか?
チームに入ったのは小学1年生ですが、幼稚園に入る前からボールを蹴っていました。
──磯村選手のお父さんは、NGUラブリッジ名古屋で監督を務めています。いわゆるサッカー一家に生まれ育ったことで、身近にボールがある環境だった。
そうです。僕が小さい頃から父はサッカーのコーチをやっていましたし、母もサッカー選手だったので。そういうのもあってボールと触れ合う時期は早かったと思います。
──具体的に、どういった家庭環境で育っていったのでしょう。
2人の弟もサッカーをしているので、本当にサッカー一家ですよね。住んでいた団地もサッカーをしている先輩や友達が多くて、家の前の芝生のある大きい公園で朝から夜までずっとボールを蹴っていました。
──名古屋グランパスU-9でもプレーされていましたよね。
最初は三好のスクールで1年プレーした後にセレクションを受けて、グランパスの育成普及部へ入団しました。ですがそこでは公式戦とかにほとんど出られませんでした。U-12を卒業するときに、U-15ではなく、グランパス三好FCに進みました。
──三好FCはグランパスの育成組織ではなくアカデミーのような立ち位置のクラブですよね。
U-15に上がれなかったU-12の選手と、愛知県内の各スクールの中でセレクションをして受かった選手が合わさって活動しているクラブですね。そこではプロを目指しながらプレーしている選手も多かったですし、チームとしても上を目指して取り組んでいました。高円宮杯やクラブユース選手権では東海大会出場が目標で、モチベーションの高いチームだったと思います。
──ちなみに、当時のポジションは?
中学生のときはトップ下で、小学生のときは左サイドバックでした。
──高校は静岡県の藤枝明誠高校へ進学しました。地元を離れた理由は何だったのでしょうか。
「おもしろいサッカーをしたい」という想いが強くて、愛知県でプレーする選択肢はなかった。藤枝明誠に練習参加したときにすごくおもしろくて、「ここしかない!」と即決しました。
──どういうところが魅力だったのでしょう?
「蹴って走って」というスタイルとはかけ離れていて、自陣からボールをしっかりとつないでゴールを目指すサッカーをしていて、それに本気であこがれました。
──高校では寮生活になりますよね。
一階に食堂のあるアパートに住んでいました。ご飯は食堂ですが、洗濯機もお風呂も自分の部屋についていたので、一人暮らしに近い感じで生活していましたね。
──高校時代の目標は高校サッカー選手権の出場ですか?
そこがやはり一番の目標でしたね。サッカー中心で今思うと考えられないスケジュールでした。
──どんなスケジュールでしたか?
朝5時に起きて、起きた瞬間に学校に向かって、まだ正門が閉まっているので、自分たちで5時半に正門を開けて、まだ真っ暗な中でボールを蹴っていました(笑)。
──自主練習ですか?
自主練ですね。何やっていたんだろうって思いますね(笑)。でも、トータルで考えると、充実した3年間ではなかったんです。2年生までは学年のトップチームで試合に出ていましたが、いわゆるAチームに関わることはありませんでした。3年生でようやく上がれたのですが、プリンスリーグの第2節の藤枝東高校戦で盛大にやらかしてしまって……。その後は一切、試合に出ることはありませんでした(苦笑)。
──盛大にやらかした?
僕はセンターバックだったのですが、自分の裏を取られてそのまま失点したのと、一番後ろでパスを受けて相手FWに奪われて失点。その2失点に絡んだことで前半32分に交代……。
──交代時間をはっきりと覚えているくらいショックだったんですね。
しばらくはボールを蹴るのも嫌でしたし、高校3年生の途中で「受験に専念します」と言って練習に行くことが少なくなりました。でも、特に勉強を頑張ったわけでもなかったんです。
父はNGUラブリッジ名古屋の監督で、母もかつてはプレーヤー。そんなサッカー一家に生まれた磯村は、名古屋グランパスU-12、グランパスみよしFC、藤枝明誠高校、東海学園大学と、全国的にも名前が知れた強豪チームでサッカーを続けてきた。
キャリアだけを見れば順風満帆だが、挫折も多かったという。
それでもサッカーから離れなかったのは、なぜなのか。一つだけ明らかなのは、ボールを蹴り続けていたからこそ、競技フットサルにも出会うことができたということ。
磯村は、小学生時代のチームメートである大学の先輩・山田翔司に騙されるようにして始めたフットサルで、日本最高峰のチームの一員になってしまったのだ。
サッカー一家の長男がトップ昇格を手にするまで。その等身大のヒストリーを追う。
幼少期からサッカーが身近にある環境
──トップチーム昇格おめでとうございます。昇格を伝えられた際の心境を覚えていますか?
自分が目標にしていたことなので「やってやろう!」という気持ちになりましたね。「やっとか」という想いが一番強かったと思います。
──昇格を伝えられたのはいつですか?
正式に言われたのはシーズン終了後の1月末くらいですね。ご飯を食べに行った際に偶然、櫻井(嘉人)GMとお会いして、「イソ、来シーズンは寮が2人部屋になるからな」って。それは、(サテライトは23歳以下で構成されているため昇格しなければ寮は使えなかったので)遠回しにトップチーム昇格ということなんです(笑)。
──磯村選手は大学までサッカーをしていて2015年からフットサルを始めました。サッカーはいつから始めたのでしょうか?
チームに入ったのは小学1年生ですが、幼稚園に入る前からボールを蹴っていました。
──磯村選手のお父さんは、NGUラブリッジ名古屋で監督を務めています。いわゆるサッカー一家に生まれ育ったことで、身近にボールがある環境だった。
そうです。僕が小さい頃から父はサッカーのコーチをやっていましたし、母もサッカー選手だったので。そういうのもあってボールと触れ合う時期は早かったと思います。
──具体的に、どういった家庭環境で育っていったのでしょう。
2人の弟もサッカーをしているので、本当にサッカー一家ですよね。住んでいた団地もサッカーをしている先輩や友達が多くて、家の前の芝生のある大きい公園で朝から夜までずっとボールを蹴っていました。
──名古屋グランパスU-9でもプレーされていましたよね。
最初は三好のスクールで1年プレーした後にセレクションを受けて、グランパスの育成普及部へ入団しました。ですがそこでは公式戦とかにほとんど出られませんでした。U-12を卒業するときに、U-15ではなく、グランパス三好FCに進みました。
──三好FCはグランパスの育成組織ではなくアカデミーのような立ち位置のクラブですよね。
U-15に上がれなかったU-12の選手と、愛知県内の各スクールの中でセレクションをして受かった選手が合わさって活動しているクラブですね。そこではプロを目指しながらプレーしている選手も多かったですし、チームとしても上を目指して取り組んでいました。高円宮杯やクラブユース選手権では東海大会出場が目標で、モチベーションの高いチームだったと思います。
──ちなみに、当時のポジションは?
中学生のときはトップ下で、小学生のときは左サイドバックでした。
2失点に絡んで前半32分で交代した記憶
──高校は静岡県の藤枝明誠高校へ進学しました。地元を離れた理由は何だったのでしょうか。
「おもしろいサッカーをしたい」という想いが強くて、愛知県でプレーする選択肢はなかった。藤枝明誠に練習参加したときにすごくおもしろくて、「ここしかない!」と即決しました。
──どういうところが魅力だったのでしょう?
「蹴って走って」というスタイルとはかけ離れていて、自陣からボールをしっかりとつないでゴールを目指すサッカーをしていて、それに本気であこがれました。
──高校では寮生活になりますよね。
一階に食堂のあるアパートに住んでいました。ご飯は食堂ですが、洗濯機もお風呂も自分の部屋についていたので、一人暮らしに近い感じで生活していましたね。
──高校時代の目標は高校サッカー選手権の出場ですか?
そこがやはり一番の目標でしたね。サッカー中心で今思うと考えられないスケジュールでした。
──どんなスケジュールでしたか?
朝5時に起きて、起きた瞬間に学校に向かって、まだ正門が閉まっているので、自分たちで5時半に正門を開けて、まだ真っ暗な中でボールを蹴っていました(笑)。
──自主練習ですか?
自主練ですね。何やっていたんだろうって思いますね(笑)。でも、トータルで考えると、充実した3年間ではなかったんです。2年生までは学年のトップチームで試合に出ていましたが、いわゆるAチームに関わることはありませんでした。3年生でようやく上がれたのですが、プリンスリーグの第2節の藤枝東高校戦で盛大にやらかしてしまって……。その後は一切、試合に出ることはありませんでした(苦笑)。
──盛大にやらかした?
僕はセンターバックだったのですが、自分の裏を取られてそのまま失点したのと、一番後ろでパスを受けて相手FWに奪われて失点。その2失点に絡んだことで前半32分に交代……。
──交代時間をはっきりと覚えているくらいショックだったんですね。
しばらくはボールを蹴るのも嫌でしたし、高校3年生の途中で「受験に専念します」と言って練習に行くことが少なくなりました。でも、特に勉強を頑張ったわけでもなかったんです。
先輩に騙されるように競技フットサルの道へ……
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