INSIDE OCEANS

【リューマとソーマが見てきたオーシャンズ/篠田龍馬×水谷颯真】10年前と変わったこと、変わらないこと。“最古参”2人が歩んできたオーシャンズ

2020.05.20

インタビュー

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名古屋オーシャンズ

篠田龍馬と水谷颯真。意外に感じるかもしれないが、彼らはクラブの“最古参選手”だ。

29歳の篠田は2009年に名古屋オーシャンズサテライトの第一期生として、23歳の水谷は2008年にアカデミー生として歩み始め、それから10年以上、このクラブで戦いを続けてきた。

「ビビりながら練習していました」(篠田)

「つかみ合いのケンカをしていて……めちゃくちゃ怖かった」(水谷)

彼らが最初に思い出すトップチームの記憶は“恐れ”だった。常に結果を求められるクラブは、昔からどのチームよりプロフェッショナルであることを大事にしてきて、だから選手と選手の間には、どこか殺伐とした空気が流れていたという。仲間であり、ライバルであり、蹴落とす存在──。

時は流れ、彼らは今、トップチームを支える選手となった。しかし、篠田にも、水谷にも、殺伐とした空気を感じることはない。ストイックさと、穏やかさが同居するようなたたずまい。2人はこの10年で、オーシャンズの何に学び、教訓を得て、進化してきたのか。

リカルジーニョやマルキーニョといった世界的なスーパースター、紛れもない国内最高峰の日本人選手、そしてオーシャンズを世界基準で指揮してきた名将。そのすべてを体感してきた2人が、自身の歩みとともに、クラブの遍歴に想いを巡らせた。

始まりは「篠田コーチ」と「水谷生徒」


──今回は、10年以上オーシャンズに所属するお2人の歩みを振り返りながら、クラブの変遷を紐解きたいと思います。まず、篠田選手の加入経緯から聞かせてください。

篠田 名古屋出身ですが、高校は高知県の明徳義塾高校を選びました。サッカーを続けていましたが、身長が小さいのでGKとしてどのレベルにいけるかという限界は見えていた。とりあえず愛知県に戻ることは決めて、大学に進学してある程度のレベルでサッカーをしようかなと。そう考えていたときにFリーグが創設されて、地元に名古屋オーシャンズというクラブがあると知りました。大学に入ってから始めるか高校を出てすぐに始めるかを考えて、始めるなら早い方がいいと思って高校3年生の夏休みにセレクションを受けました。

──では水谷選手はどうでしょう?

水谷 僕は小学生のときにサッカーを始めたのですが、そのチームがフットサルにも取り組んでいました。中学では部活を考えていましたが、部員が少なくてあまり一生懸命な取り組みをしていなかったので、今まで続けてきた期間がもったいないと迷っていました。そうしたら親から「こういうチームがあるんだけどどう?」とU-12のセレクションを勧められたんです。

──なるほど。2人がオーシャンズに入った時期は近いですが、年齢が6歳も離れていますし、これまでは一緒にプレーしたことはなかったですよね?

篠田 そうですね。一緒には今が初めてだよね?

水谷 今ですね。

篠田 でも接点はあったよね。颯真が高2くらいのときにGKコーチをしていたので。

水谷 ゲンさん(高橋優介コーチ)がいないときには篠田さんが練習を見てくれましたね。

──その頃のお互いの印象を覚えていますか?

水谷 無口でクールな人だなと思いました(笑)。

篠田 僕はコーチだったし、立場が違うのでどうだろう……。

水谷 あんまり覚えていないんじゃないですか?

篠田 覚えてないわけではないけど、どう思っていたかな(苦笑)。

──では、どういう特徴を持つ選手でしたか?

篠田 賢くプレーする選手だなというのは覚えていますね。

選手同士のケンカは日常茶飯事


──篠田選手はサテライトでプレーしながらトップの練習に参加されていましたが、そのときのトップチームの印象を覚えていますか?

篠田 今でもそうですけどみんなすごい選手でしたね。1年目は4月からサテライトの活動が始まって、5月からトップも活動を始めたのですが、フットサルを始めて何もわからない状態の1カ月目でトップの練習にも参加していました。そのときは怖かったですね。

──怖かった?

篠田 周りの選手とは10歳以上も違っていましたし、一緒にサテライトから参加していた選手以外だと、歳の近い選手でも5歳か6歳は離れていました。逸見(勝利ラファエル)、マティアス(前鈍内・マティアス・エルナン)、森(秀太)の3人は一緒にトップの練習に参加していました。僕は何もできなかったので、上の選手とのプレッシャーと戦っていたというか。プレーがどうではなく、気を遣いながら……ビビりながら練習していました。

──当時は、練習の空気もかなりピリピリしていた。

篠田 そんな感じです。自分も上の立場になってきたので比べるのは難しいですけど、ピッチの中と外では空気が全く違いましたね。ものすごく張り詰めていました……。

──水谷選手は育成年代の頃からトップチームの練習を見学されていたそうですが、外から見ていてどのような印象を抱いていましたか?

水谷 僕もそういう雰囲気は感じていたので、気軽に声をかけてはいけないような……挨拶しづらかった(苦笑)。すごく怖かった。今とはちょっと違う雰囲気ですね。

──練習中に選手同士がケンカをしていたとか……。
水谷 ありましたね。トップチームの後にスクールが始まるので、いつも早く行ってトレーニングを見ていました。そのときに、選手同士がつかみ合いのケンカをしていて、めちゃくちゃ怖かった。コーチからそれが日常だと聞いていて「これが普通なのか……」って(笑)。

篠田 あっちのコーナーで見ていたやつ?

水谷 そうです。

篠田 あれが颯真か(笑)。ケンカのようなことは毎週のようにあったけど、そのシーンは僕も覚えています。アジウ監督が「スクール生も見ているのにそういうことをするな。あの子がそんな大人を見てどう思う?」みたいな話をしていた(笑)。

水谷 そうなんですね(笑)

篠田 うん。でも、チームとしてはすごく戦っている感はありましたね。

──篠田選手はそういうときに「またやってるな」と見ている感じですか?

篠田 いや、僕もけっこうありましたよ。1年目はさすがに自分のことで精いっぱいでしたが、2年目、3年目くらいはナメられちゃいけないと思って、理不尽なことを言われたりしたら自分の意見をしっかりと言うようにしていました。でも普通、10歳以上も下の選手に言い返されたらイラっとするじゃないですか。そこから始まって、言い合いになることがありましたね。

でも、そういうことを通して信頼関係がちょっとずつ築けていくんです。ピッチの中でも自分の意見を口に出して伝えることがすごく大事だと思いましたね。

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