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【拝啓、ペドロ・コスタ様】「あの人のおかげで人生が変わった」。星龍太と安藤良平が語る、偉大なポルトガル人の素顔と苦悩

2020.05.21

インタビュー

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名古屋オーシャンズ

2016年、ペドロ・コスタは名古屋オーシャンズで現役を引退し、そのまますぐ監督に就任した。ポルトガルのレジェンドの去就は、クラブにとって一つの転換期だったことは間違いない。そしてそれは、ある2人の選手にとっても、キャリアを大きく左右する出来事だった。

星龍太と安藤良平。

彼らのフットサル選手としての歯車はここから加速度的に回り始めた。

龍太は、ペドロ・コスタの後を継いでキャプテンに就任。彼にとっては初めての大役。しかもオーシャンズというビッグクラブで巻くキャプテンマークは、より大きなプレッシャーだろう。不慣れな仕事には苦悩と葛藤、挫折を伴ったが、龍太はあのときからペドロ・コスタと二人三脚でチームの新しい土台を築き、新時代のオーシャンズを引っ張っていった。

安藤は、ペドロ・コスタに見出されてオーシャンズ に加入した。前のシーズンまで所属した湘南ベルマーレは、9勝2分22敗で10位と低迷。彼自身は湘南の中軸選手に成長していたが、その当時は本人を含めて誰も、その後のサクセスストーリーを想像していなかった。ただ一人をのぞいて。オーシャンズの新人監督の強い希望で、安藤は名古屋入りを果たしたのだ。

2人がオーシャンズ にとってどれほど重要な選手かはもはや言うまでもない。ただもしかすると、ペドロ・コスタがいなければ彼らのキャリアは今とは異なるものだったかもしれない。ペドロ・コスタは2018シーズンをもって、8年過ごしたクラブを離れた。しかし今もなお、オーシャンズには彼の痕跡を明確に感じることができる。2人のプレーを通して。

龍太と安藤は彼から何を学び、何を受け継いだのか。偉大なポルトガル人を回顧する。

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ペドロ・コスタ監督が一番うまかった


──星選手はチームメートとして、安藤選手は対戦相手として向き合った「ペドロ・コスタ選手」のどんなところがすごかったと感じていましたか?

 僕が選手として一緒にプレーしたのは3シーズン。コスタが日本に来た最初のシーズンは立川・府中アスレティックFCにいたので対戦相手として戦いました。僕が(1シーズンぶりに)オーシャンズに戻ってきたときは気軽に接してくれて、まだフットサルについて全然わからなかったので、いろいろなことを教えてくれました。彼のすごいところは特に技術と戦術。ポジションは違いましたが、動きを見て勉強していましたね。

安藤 対戦していて、派手さはないですけど気が利くプレーもできますし、動きの質も高いなと感じましたね。一緒にプレーしてみたかった。

 そっか、一緒にプレーしてないんだ。

安藤 そうなんだよね。

──ペドロ・コスタが監督になって真っ先にオファーをもらったことはうれしかったのでは?

安藤 はい。そのときの湘南はあまり勝てていないシーズンでした。選手として評価してもらえたと思うので素直にうれしかったです。監督と選手という関係でしたけど、彼が何を考えているのかを少しでも一緒に過ごして感じ取れたのは、自分にとっての財産です。

──現役時代は「フットサルの教科書」と呼ばれるほどの選手でしたが監督としてのキャリアはゼロ。2人はペドロ・コスタ監督の1年目をどう感じていましたか?

 AFCクラブ選手権は優勝できましたが、シーズンを通して考えると結果は良くなかったですよね。監督になって初年度だった上に、チームも若返ったので、積み上げていくのではなくて土台から作らなければいけなかった。難しい部分はあったと思います。僕たちもそれを理解しながら力になろうと思っていました。監督と一緒に戦っていくという1年目でしたね。監督と選手との間に隔たりはなくて、一緒に成長していこうという気持ちが大きかったです。

──その気持ちになれたのは彼の人間性が大きかったのではないでしょうか。

 人間的にはみんなが100%、彼を尊敬していました。彼の人柄や今まで積み重ねてきたものがみんなの気持ちを動かしていたと思います。

安藤 でも、コスタ自身が一番ストレスを感じていたと思う。「なんでできないの? 俺だったらできるのに」って。

──たしかにペドロ・コスタは、「自分が試合に出た方がうまくいく」と思ったこともあったそうです。でも、「選手から監督になった人はみんなそう思うはず」だと。

安藤 そこは難しいですよね。

 初年度はよりそういう感じは出ていました。お手本を見せられる監督なので。セットプレーのキックとか簡単に実践してしまっていたよね。

安藤 うん、一番うまかった(笑)。

 そうそう(笑)。「なんでできないの?」って、さすがにそこまでは言わないけど、毎回それくらい質の高いボールを蹴る。逆にいえば、言葉に落とし込んで伝える難しさはあったのかなと。個人差も出るから、特にセットプレーを教えているときはすごく感じました。でも途中からは「自分がやりすぎてはダメだ」と切り替えていたように思います。

──1年目は監督と共に苦しいシーズンを歩みました。「この人についていって大丈夫なのだろうか」という不安はありましたか?

安藤 僕は全くなかった。

 そうだね。与えられた環境でやるしかないからね。でも、うちらは「やるしかない!」と思っていても、例えば出場機会の少ない選手は不満に思っていたかもしれない。監督には何かを切り捨てなければいけないときもあると思うし、そのために嫌われ役となることもある。

──そこについても「友人だったけど、監督と選手というラインを引かなければいけなくなった」と、立場上の難しさはあったと話していました。

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